どうもkumaです。
僕は借金を最大148万円かけた経験があります。
(ぶっちゃけまだ残債があります)
なぜそんなに借金を抱えたのか。
そこに至るまでの経緯を自戒を込めて記録したいと思います。
コンテンツ
20代で消費者金融で148万円借金した話
会社の年次ごとにまとめました。
それではご覧ください。
22歳で社会人デビュー、堅実だった1年目
大学まで地方にいた僕ですが、
配属が東京都であったため、初めて花の都東京へ移住した。
初めての東京生活は、会社の社員寮だった。
社員寮なので、家賃は非常に安く、
自己負担はなんと1万円程度。
また1年目から仕事がとっても忙しくて、
1年目にして終電で帰ることも多く、
無駄遣いはそんなになかった。
朝ごはんと晩ごはんは社員寮で寮母さんが用意してくれていたため、コストは控えめだった。
確か、朝ごはんは200円、晩御飯は400円だったような。
とにかく生活にまつわる費用がほとんどかからなった。
特に貯金の意識もすることなく、
それなりに遊びに、ファッションに、飲み代に、と使っていた。
風俗にもいった。
それでも1年目を終える時、通帳には40万円の残高があった。
1年間で40万円の貯金。
特に節制するわけでもなく。
まぁまぁ順調かなと思っていました。
この時までは。
寮を退寮。一人暮らしを開始した2年目
1年目を終えるころ、衝撃の発表があった。
なんと寮が移転することに。
これまでは23区内にあったものの、県外へと移転することになったのです。
地方出身の僕は、東京23区に住んでいることに非常に価値を持っていたため、移転するならば、寮を出よう、そう決心した。
寮の仲間たちと新たな城に選んだのは、新宿区。
広さは5.5畳。
家賃は共益費・管理費を含め、83,000円。
狭い割に、家賃が高い。
これが東京価格なのか。
管理会社が大手だったからなのか。
そこに電気代、水道代、ガス代がかかってくる。
これまで、住むのにかかっていたお金は1万円だったので、急にランニングコストが上がってしまった。
ただ、この時僕は、
なんとかなるという、わけのわからない自身で
満ち溢れていた。
呑気な僕に追い打ちをかけたやつがいる。
そう、住民税だ。
社会人2年目になるとやってくる、住民税。
異様に高いわけでもないが、
ボディーブローにように地味に来る。
呑気な僕は、さらにたたみかける。
大人の遊び、ゴルフを始めるのであった。
練習するにも、コースに出るのにもお金がかかった。
この年、15ラウンドはしただろうか。
年間でゴルフには20万円以上は使った。
このころから、飲み会代をカードで切り、
みんなから現金を回収するという技を駆使し始める。
支払いを先送りし、ボーナスで支払う。
そんな自転車操業を繰り返すようになった。
その話はここにまとめました。
「【実話】クレジットカードの分割払いを繰り返した結果、手数料で大変なことになった話」
こうしてキャッシュフローが崩壊した
2年目を終えるであった。
キャッシュフローが崩壊し続けた3年目、4年目
2年目を終えるころ、僕にも彼女ができた。
同じ会社の子だ。
彼女の維持費はそれなりにかかる。
記念日、誕生日、季節の催し物。
同じ会社であるがゆえに、お金がないなんて言えない。
その前に女性にお金がないなんで、恥ずかしくて言えない。
プレゼントも飲み代も海外旅行も全部クレジットカードで支払い、その支払いを先延ばしした。
それを2年ほど続けた結果、
1回の支払いが65万円となったこともあった。
完全に使いすぎだ。
自分のキャパを完全にオーバーしている。
いよいよ、クレジットカードの先送り戦法も限界を迎えていた。
4年目を終えるころ、僕は役職者になった。
と同時に収入が倍になった。
冗談抜きで倍になった。
これで、クレジットカード先送り戦法も、使わなくて良くなると思った。
しかし、支出も倍になった。
それなりに贅沢をする様になった。
キャッシュフローは相変わらずのままだった。
収入が倍になった。支出も倍になった。車を買った5年目
5年目になると、かねてからの夢であったマイカーが欲しくなった。
このころ弱虫ペダルにハマって、ロードバイクを買った。
10万円くらいしただろうか。
そのロードバイクに跨り、近くを走っていると、
僕は目を奪われた。
ずっと欲しかったアウディが売られていた。
20歳の時に一目惚れした、それだった。
自転車を降り、ディーラーに入った。
気づいたとき、僕はもう契約書にサインをしていた。
総額230万円。貯金は0円。
頭金も払えない。
その時、ずっとダメだと思い続けていた消費者金融に登録した。
一旦借りて、ボーナスで一気に返せばいい。
そんな気持ちだった。
50万円借りると、月々の利子は19,000円。
たった、19,000円で夢が買えるのなら安いと思った。
こうして僕は、消費者金融の顧客となったのだった。
ちなみに、車を買ってからというのも、
ロードバイクに乗ることは無かった。
月々の分割の車体代、駐車場代、維持費、車検、自動車保険。
キャッシュフローは崩壊したまま。
現金が足りなくなると、
消費者金融でお金を借りた。
利子が膨らんでいった。
利子を支払うために、さらにお金を借りたりもした。
このころ、飲み会も盛んで、週に3回は飲みに行っていた。
大学生御用達の格安チェーン店の常連だった。1回あたりは安いものの、週3回となれば、それなりの金額になる。
そんな生活を5年目、6年目と続けた。
このままじゃだめだ、そう気付いた7年目。
7年目。僕の役職はさらに上がった。
この時、借金は100万円を越えていた。
そして、キャッシュフローは崩壊したままだった。
役職が上がったことで、収入は約、1.2倍になった。
だが、それなりに贅沢をするようになった。
気付けば、借金148万円。
毎月の利子は25000円だった。
消費者金融のシステムはすごい。お金を借りれば借りれば借りるほど、利率が下がる。
それに乗じて僕の借金は膨らみ続けた。
僕はこのままじゃいけないと、幾度となく思ったが、今回は、本当にそう思った。
大好きだった飲み会を節制した。
そして、毎月の利子をまずは減らさないといけないと思った。
適当な、それらしい理由をつけて、
親に頭を下げてお金を借りた。
金額にして80万円。
これで返済し、残金は、68万円。
そしてボーナスで50万円を返した。
現在の残債はあと18万円。
月々の返済額も8000円まで落とすことができた。
次のボーナスで0円にしたい。
飲み会を減らし、無駄な支出も減らして、キャッシュフローも形になってきた。
親に借りたお金は、しっかりと色をつけて、感謝とともに返したい。
2021年には完済予定で、残るは車の車体分割代だけだ。
起死回生の8年目へ、資産形成の土台作り
ここまで借金を膨らませておいて、
自分のしてきたことに後悔は全くない。
お金がなくても、借金までしても、様々な経験ができた。
背伸びしたこともあったが、それはそれで、かなりの経験値になっている。
だがしかし、いつまでも借金をしているわけにもいかない。
適切なキャッシュフローを作り、勝手にお金が増えていくシステムを構築しなければいけない。
実は、入社当時から、会社の持株会の積立を続けている。
それと2年前からつみたて投資信託も開始した。
現在これらの合計は、約350万円ほどになった。
ただこれは未来の自分への投資であり、
喫緊の自分を潤わせる何かではない。
これとは別に新しいキャッシュフローを作ろうと思う。
そのために種銭が必要だ。
不動産、株式投資、FX・・・
何をやるにも元手が必要で、リスクヘッジにもお金がいる。
起死回生の8年目にするために。
あとがき
ドラマティックに書いてみたものの、
要は自分のキャパシティーを超え、借金を抱えて、
さらは親からお金を借りて借金を返すという、クソみたいな物語だ。
ただ、繰り返し言うが、後悔など、これっぽっちもしていない。
それに変えがたいほどの濃い時間と経験を得た。
ただ、人に金を借りて経験を得るのはそろそろやめにしよう。
僕はそろそろ大人になろうと思う。
正真正銘の大人に。
puma